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「投了」もしくは「参った」という作法 

F チューリップ 雪の中で 130421_cIMG_1166
米紙ニューヨーク・タイムズが報じた猪瀬知事の「イスラム諸国で人々が共有しているのは唯一、アラーだけ。けんかばかりしている」という発言は、さまざまな波紋を引きおこしているけれど、このエントリで重ねてそれを説明するのはやめる。

オイラが書きたいのは、トルコの反応のことだ。むろん、政治家から市民まで様々な反応があるのだろうが、ここではトルコのクルチ青年スポーツ相の発言に注目したい。報道によれば、彼は29日までにTwitterで遺憾の意を示す一方で、「われわれは日本人を愛しているし、日本人の信条や文化を尊重する」と述べたのだそうだ。
そして、きわめつけはコレ、「われわれはトルコ人と日本人が数世紀にわたり維持してきた友情と互いに尊敬し合う関係を極めて重視している」という発言だ。
これはもちろん、1890年(明治23年)のエルトゥールル号遭難事件に始まる両国の友好関係を指したもので、猪瀬氏の謝罪を受け入れた上でこんなことを言われては、完全に「勝負あった」というものだろう。

トルコはもともと地理的にアジアとヨーロッパの架け橋で、文化的にもイスタンブールに象徴されるようなキリスト教とイスラム教が融合した魅力をもつ国だ。合衆国を旗頭にする陣営が十分な証拠もないままにイスラム圏の国々に戦争を仕掛けるなどして世界に生み出された「憎しみの連鎖」を断ち切るためには、最適の開催国と言えるだろう。
これは実は、わが国もある程度は主張できる点で、キリスト教国とイスラム圏との対立が先鋭化したとき、日本はその架け橋となれる柔軟性や多様性をもっている。実際、これまでイスラムの人々は日本に対しては、米英などに対する態度とは一線を画する対応をしてきた。日本が本当の意味で世界のためにオリンピックの負担を担おうとするなら、その点を訴えれば良かった。

しかし、最近の日本は「嫌△」などという言葉で特定の国の人々を排斥しようとしたり、いたずらに隣国との緊張を高めたりと、本来日本人が持っていた柔軟性をどんどん失っているように見える。そこに、今回の猪瀬発言だった。オリンピック招致の話に限らず、これによりわが国への信望は少なからず傷つけられただろう。そして、五輪招致にかかる一定の計算があるとしても、トルコ側が示したこの度量、これこそが日本が本来持っており、大切にし続けなければいけないものだった。

この度量を示されてしまえば、もはや日本は投了すべきかもしれない。どうしても最後まで競いたいと言い張る人の気持ちもわかる。しかし、せめてトルコと日本が決選投票になったならば、サラリと譲るというのはどうだろう。今回の五輪開催を断念したとしても、その方が未来の日本と日本人に大きな自信と誇りを遺せるのではないだろうか。

写真はトルコに敬意を表して。

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テーマ: これでいいのか日本
ジャンル: 政治・経済

2013.05.02 Thu 22:47
カテゴリ: ひとりごと
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