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蘭の香りを愛でながら 

夜光 善光寺門前 灯明まつり 120211_cIMG_1425
仕事場では、いま、一茎一華の「龍字」が涼やかな香りを漂わせている。
仕事の合間にふと、暗いところに置いてあげなきゃ・・・と気になったのをきっかけに、この「テラス」再開のことなど、筆に任せて書いてみたい。

蘭を愛培する歴史は、現在の栽培種だけに限っても、中国の方がいくらか古いらしい。かの国では「四君子」と言って蘭・竹・菊・梅が尊ばれ、画題にも多く用いられている(あ、ちなみに中国の人は「ベスト4」ってのが好きらしい。「文房四宝」とかね)。出典は不明だけれども、「蘭づくりは、人を育てるのに似ている」というような言葉が、いつのころかオイラの記憶にも残っていて、良い言葉だな、と思っている。

最近まで自覚していなかったけれど、1年前の大震災、いや、むしろ直後の原発事故の放射能汚染は、思った以上に「オイラと自然との関係性」を壊していた。ずっと山に登っているから、「自然の厳しさ」のようなものはよく知っているけれど、それは「自分も自然の一部にすぎない」という意味で素直に受け入れられるものだった。もし、死ぬようなことがあれば、それは自分の未熟として受け入れられる、そんな関係で自然をとらえていたのだ。
それに対して、原発事故がもたらした自然との関係は、人が自然を決定的に汚染し、結果として目に見えないしっぺ返しを受けるという関係で、その怖さは決して自然本来のものではない。オイラはこれまで、今回のような意味で自然を怖いと思ったことはなかった。

この春、蘭の花を眺め、身近に置いて香りを楽しむことで、損なわれてしまった自然との関係性が少しずつ癒され始めている気がする。というより、そもそも、自分と自然との関係が知らないうちに損なわれていたこと自体に、ようやく気づかされたのだ。擬人化された蘭が、自然とオイラの間のインタープリター役をしてくれているのだろう。
こういう感覚はどうも日本人より中国人の方が強いらしい(というか、日本人も動物ではそう感じるけれど植物ネタは少ないのかもしれない)。子供の頃、菊を大切にする人に「菊の精」が恩返しするお話を読んだ。当時のことだから出典などわからず、細かなストーリーも忘れてしまったけれど、今でも強く印象に残っている。たぶん中国の物語だと思うので、『聊齋志異』でも探せばルーツが分かりそうだけど、まだやってない(『聊齋志異』は手元にあるのに・・・)。ヾ(;´▽`A``

まとまらないエントリになったけど、花の季節になって、人と同じように温度や光に気をつけながら蘭を眺めていて、ふと「テラス」を再開する気になったのは、そんなところにも原因があったのかな、と思ったのだ。おしまい。

写真は、鎮魂の意味も込められた今年の「灯明まつり」のワンシーン

PS.週末は風邪ひきのくせに寒い部屋で蘭を眺めそうで怖い・・・ (ーーA;;

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テーマ: つぶやき
ジャンル: ブログ

2012.03.15 Thu 05:07
カテゴリ: 生命をみつめる
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