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今月の花 ~卯月~ (日々の記事は下にあります) 

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【修復】2007年1月6日まで完了
一気に暖かくなって、信州にも春の訪れが実感される今日このごろ、皆さまいかがお過ごしでしょうか。オイラも長い冬眠から一気に醒めました!
初めてお越しの皆様、ありがとうございます。いつもおいで下さっていた皆様、お久しぶりです。今月もどうぞよろしくお願いします。

さて、「今月の花」はひとまず無銘のコノフィツム交配種。昨冬に撮ってアップできずにいた一枚です。干からびた皮を破って迸るように咲く花が、この時節柄ふさわしいかと思ってアップしました。
これまでだと月の掲示板には「あいもかわらず、花の話ですが」と書いていたところですが、今回は少々腹立ち紛れの再開です。宜しくおつきあい下さい。
記事に付けにくいコメントはこちらにどうぞ。
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2011.04.30 Sat 23:58
カテゴリ: 今月の掲示板
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メディアの「魔女裁判」と「科学」という呪文 その3 

このエントリは連続モノですので、ぜひ「その1」からお読みくださいね。

さて、このシリーズをまとめるにあたり、4月27日に公判が行われた「陸山会」の土地購入を巡る政治資金規正法違反(虚偽記載)裁判の報道を取り上げたい。今回の公判では証人の川村尚「水谷建設」前社長が「大久保元秘書から現金1億円を要求され従った。工事を受注でき、元秘書のご協力のたまものと思う」と述べたとされる(毎日新聞)。
もともと、裁判の争点はこの証言に出てくる「裏金」とは関係ない(だって検察役の指定弁護士はすでに「裏献金」の立証を諦めているのだから)。そのくせ「虚偽記載の背景説明」といういささか無理な証人申請が認められた上での証言なのに、大メディアは証人の言い分だけを大々的に報道した。申し訳程度に石川氏らが否認していることは伝えたものの、「そもそも立証する気のない証言だ」と伝えた社はない。もし「公平でない」と批判されても、各社とも「事実を伝えているだけ」と反論するだろう。お見事!
しかも、裁判の核心とは無関係なので、この先、原告がこの証言に反論しようとしても、裁判所は「本件と関係ない」と遮ることが見込まれる。その点まで考えれば、やはりバランスを欠いた報道という批判が当たっているのに、だ。

この事案(今のところ事件と言う気がしない)、そしてその裁判と報道は、民主主義の国で起きていることなのだろうか?
これで、大マスコミは民主主義のチェック機能を果たしていると言えるのだろうか?

さて、ここで「その1」で取り上げた日本の大メディアの沈黙、「その2」の「科学的態度」について、それぞれ検討してみたい。
まず、日本の大メディアの沈黙から始めよう。現在、日本のメディアや政府には、「その1」でオイラが書いたことを、「余計な不安を煽る」と見なして否定する風潮が広がっている。「証明されていない」という反論もあるだろう。
では、上記の「証言」報道はどうだ? 証言自体が「事実」だから報道したのだろう?
オイラの書いた「その1」に事実以外の部分があっただろうか?
「1号炉と3号炉は爆発の様態が違う」「3号炉ではキノコ雲が噴き上がった」「海外の専門家は3号炉の爆発が激しく、その原因が臨界にあるのではないかと述べている」というのは全て事実だ。「証明されていない」と言うなら、「裏献金証言」も同様だ。しかも、3号炉の爆発は、おそらく「裏献金」証言などより傍証が豊富にある。
つまり、日本のメディアは、自分たちの都合の良いときだけ都合の良い「事実」に絞って報道する組織なのだ。その態度の使い分けが二つの事例から如実に浮かび上がる。オイラは「その1」を書くための引用先として国内大メディアを一つも使えなかったし、「核燃料のかけらが3キロ先まで飛んだ」なんて海外で言われてることをちっとも知らなかった。
┐(゚~゚)┌

次に、大メディアの「科学的」態度だ。
現在の報道は、「100mSv 以下の被曝がガンが発生することは『科学的』に証明されておらず、ある値(閾値)を超えなければ心配ない」という一色に染まっている。はてさて、これは本当に科学的なのか?
メディア各社に一つ問いたい。「閾値」は何mSv なのか?
閾値がある、というのは学説の一つに過ぎない。しかも、その値を言える研究者はいない。もちろん、メディア各社もこの問いに答えられまい。
にもかかわらず「閾値以下なら心配ない」など、詐欺に等しい報道だ。「閾値」を前提とした言説を流布させるなら、少なくとも「閾値」があることを立証してからにするべきだ。立証もできないことを大々的に報道するのが「科学的」なのか?
こう書けば、賢明な読者の皆さんはおわかりだろう。証明する気もない「裏献金」の証言をあたかも大スクープのように報道する態度と、論証できない「閾値」を前提とした「安心」報道とは、おぞましい双子の兄弟なのだ。
本来であれば、それぞれ「推定無罪」と「安全が立証されていない以上は冷静な対策を」というスタンスで報道するべきものが、まるっきり反対になっているのだ。挙げ句の果てに、内閣官房参与の辞任やら、累積100mSv以下での白血病労災認定やらの事実が出てきたのでは、メディア各社もお困りだろう。

今のままでは、大メディアなど「魔女裁判」の手先となんら変わるところはない。しかも、彼らは自己正当化のために「科学」という言葉を免罪符にしているからタチが悪い。汚れた手で「科学」をもてあそぶな、と言いたい。ちなみに、オイラがいう「科学」は自然科学にとどまらない。社会科学だって同様に科学的態度が大切なのだ。だから、これは原発事故の報道に限った話ではない、とダメ押ししておこう。

上記の裁判にしても、原発事故にしても、こんな報道をして、メディアはその責任を取れるのだろうか?
いや、言わでものことを書いてしまった。。。
何の責任も取らない、これこそ日本の大メディアだったっけ(笑)
しかし、その姿勢の、なんと東京電力と似ていることか。背筋が薄ら寒くなる結論に、熱い珈琲がほしくなった。(完)

テーマ: これでいいのか日本
ジャンル: 政治・経済

2011.04.30 Sat 15:32
カテゴリ: ひとりごと
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メディアの「魔女裁判」と「科学」という呪文 その2 

このエントリは連続モノですので、ぜひ「その1」からお読みくださいね。

昨日の話題として、ナニかと物議を醸す内閣官房参与のお一人、小佐古敏荘さんが辞任したというニュースがあった。辞意表明のコメントとやらがコレだ。
そう言ってはお気の毒だが、落城寸前の城から逃げ出して「私の本意ではない」と言っている姿にオイラは「美」を感じない。「子供のため」みたいな言い分も、とって付けたみたいでイヤだし、なによりご本人が「学者生命を守るため」だと白状しているのだから世話はない。

ただ、こんな人の言い分でも、東大ブランドをありがたがる相手にはいくらか効果があるだろうから、日本の未来のためにせいぜい使わせてもらうのはやぶさかでない。どれだけ本気か定かでないが、「20mSv(ミリ・シーベルト)」というのは安全だとは言えない、と初めて東大閥からの発言があったわけだ。

さらに、厚生労働省が、累積被曝線量が100mSvに満たない原発作業従事者達たちを「労災」と認定していたことが明らかになった。オイラの手が届いた具体的事例を示す資料はこれだけなので、さらにウラを取る方が望ましいけど、まあサイトの素性からみてウソは書いてないでしょう。
そこで、ゾッとしたのはこの事例だ。ご当人は、中部電浜岡原発で働いて91年に亡くなっている(慢性骨髄性白血病)が、その累積被曝線量は、8年10ヶ月で、わずか50.63mSv なのだ。8年10ヶ月を「106ヶ月」として、50.63をこれで割ると「0.4776415」。こいつを12倍すれば、単純計算だが平均したときの一年間の被曝線量になる。値はなんと 5.73 mSv と出た!
え?! オイラ思わず電卓を二度叩いたけど、非情にも電卓の答えは変わらない。 福島の小学校は20mSv の基準だったよね? 他に10年で74.9mSv 被曝して死亡した事例も記載されていた。

むろん、この方が、9年近い職歴の中で、不幸なアクシデントで50mSvを一気に浴びてしまった可能性もある。しかし、だとすれば、今回の福島では、作業員さんの多くはとっくにこの線量を超えたり、超えようとしているわけで、それでも国は福島の作業員さんの基準を250mSvにするとともに、ここまでの議論で、「100msv以下では、ガンが発生するという科学的根拠はない」と言ってきた。

しかし、他の皆さんも指摘しているように、これらの労災認定事例は、厚生労働省が「これだけの線量でも被曝が原因で白血病になることがあります」と認定している事例なので、国の言っていることはまことに矛盾しているかのように見える。
オイラはそれだけでも完全にアウトだと思うが、実は賢明な(悪賢い)ことに、彼らは「科学的根拠はない」と言っただけで、100mSv 以下でも晩発性放射線障害が出ることを否定はしていない。

「100mSv以下なら安全」であるかのように喧伝してきたのは、実は大メディアなのだ。いわく、「100mSv 以下の被曝でガンが発生することは『科学的』に証明されておらず、ある値(閾値)を超えなければ心配ない」というヤツだ。
しかし、「閾値」がどのくらいなのかは報道されていない。当たり前だ、学者たちも閾値を明確に論証できていない(まだ仮説)のだから。にもかかわらず報道の全ては、「閾値」の存在を前提にしている。こんな馬鹿な話があるだろうか。「閾値」の値とその存在を示した上で、「それ以下なら安心」というのを「科学的態度」というのだろう。心配ないというなら、「何mSv 以下なら絶対大丈夫、被害が出たら我々が補償する」と言ったらいいのに。
なお、低線量の長期の被曝、内部被曝など十分解明されていない部分を報道が無視し続けていることについては、武士の情けでここでは触れない。

ここまで、原発事故に対する大メディアの、妙に沈黙する態度と、明示できない「閾値」を前提にする態度の2点を指摘した。「その3」では、これらについて、先日行われた一見無関係の裁判報道と比べながら、もう少し考えてみたい。

テーマ: これでいいのか日本
ジャンル: 政治・経済

2011.04.30 Sat 15:21
カテゴリ: ひとりごと
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メディアの「魔女裁判」と「科学」という呪文 その1 

3号炉のキノコ雲
昨日、福島第一原発の1号炉と3号炉の爆発が全く様相を異にしていることを報道する海外番組の動画を見た。「えーご」が苦手なオイラは四苦八苦したけど、言ってることの大要はわかった。要するに、炎(光)と煙の吹き出し(吹き上がり)方から、3号炉は1号炉とは仕組みの違う爆発が起きた疑いがあるのだ。
別の、これまた海外映像で3号炉の爆発を見ると、なんと三回もはっきりした爆発音が響いている。

さらに、イギリスで放映された「3号炉の爆発は厳密には衝撃波をともなう『detonation(爆轟)』で、よりダメージは深刻だ。・・・2マイルも離れたところから核燃料の破片が見つかっている・・・」などとという解説番組を見ていると、一次資料による検証を要するとしても、これまでの国内の報道よりはるかに「事実からわかることを丁寧に拾い集める」という報道の良心を感じる。
ちなみにこの動画、解説が長いですが、こちらの下の方に、動画の経過時間入りの日本語訳が掲載されてます。対照してみたけれど、ニュアンスの差は感じても大筋は正確だと思いました。もっとも火星人の「えーご」は植物誌を読む専用ですからアテになりません。ご自分でご確認くださいませ。

さて、本題。
どうして日本のメディアは、これらの事実(写真にあるように少なくとも爆発の様態が違うのはまぎれもない事実)を伝えないのだろうか? 明らかに、三度にわたって爆発音が響き、1号炉より強力な爆発による黒煙が上方に噴き上がっているではないか。
誰が見ても、東電と原子力安全保安院が国民に説明すべき複数の疑問点がある。

a.水素爆発だけなら、三回立て続けに爆発音がする仕組みは何か?
b.建屋の外壁を側方に突き破る力とは全く違うベクトルで上方に吹き出す力は何によって発生したのか?
c.上記bで、銃身あるいは花火の打ち上げ筒の役割をしたものは何か?
d.1号炉の爆発ではさほど増加しなかった放射線量が、3号炉の爆発(14日)後に急上昇したのはなぜか。

それなのに、これまで数限りなく繰り返された記者会見やニュースの類で、どうしてこれらが説明されていないのだろう?

ちなみに・・・
昨日あたりから、この爆発の性質の差が日本のブログやTwitterで取り上げられる際に「核爆発」という言葉が使われている。しかし、この言葉を使うと核兵器の爆発と区別できずに頭から否定する人や、逆にパニックになる人も出るので、オイラは「即発臨界」という言葉を使うことにする。(京大の今中さんは、チェルノブイリの爆発を即発臨界だとした上で「一種の核爆発」だと書いているようだけど、「核爆発」の部分だけで水掛け論になっては肝心の話ができない)

本題に戻って・・・
原子炉は、人間が制御可能な「遅発臨界」を主にすることで成立する仕組みで、多量の「即発臨界」は文字通り暴走(そして爆発)の原因になるから起こしてはならない現象なのだそうだ。
つまり、海外のニュースが疑っているのは、単なる水蒸気爆発にしては見るからに強力な爆発が3号炉では起こった。その原因の一つとして、上記の「即発臨界」が(おそらく使用済み燃料プールの方で)起きていた可能性もあるのではないか、ということだ。
この場合、沈黙ほど雄弁な是認なのではないかと疑われるのは当然のことで、それを晴らす説明責任は原因者と行政担当者にある。

その2につづく

テーマ: これでいいのか日本
ジャンル: 政治・経済

2011.04.30 Sat 15:07
カテゴリ: ひとりごと
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営業開始 

F チューリップ白 透過光 110421_cIMG_9270
このところの原発震災特集では、ずいぶん真面目なことを書いていたので、以前からおいでくださる皆さまの中には、「火星人め、とうとう頭のねじが・・・」なんて思われちゃってるかも知れません。

でも、ご心配なく、オイラの頭は相変わらず「ふんわり、のほほん」です、、、、って、アレ?(^。^;)

明日からは、風薫る5月ですし、ツイの方でも「スイーツも」なんて嬉しいツッコミが入ったりしましたので、そろそろカフェ本来の営業に移りたいと思います。
洋菓 高円寺にて 110206_cIMG_8235
原発の方でも、まだまだ書くべき問題が残っていますから、ときどき(しばしばかも?)マスターの毒舌も飛び出すと思いますが、どうぞよろしくお願いします。

そんなわけで、久しぶりのスイーツは、高円寺で2月にいただいたケーキ。お味も結構でしたが、このボリューム感がオイラには何とも・・・(笑)

今日は春を満喫しつつ、季節外れの延びすぎたフキノトウを採ってこようと思っています。レシピや仕上がりは後ほどネ。ヽ( ´▽` )ノ

テーマ: スイーツ
ジャンル: グルメ

2011.04.30 Sat 07:05
カテゴリ: 食べる&飲む(Cafe 編)
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東電の社員さんも社員さんだけど・・・ 

F アンズ 110417_cIMG_9225
3月下旬から4月中旬にかけて、「東京電力の社員」を名乗る人々が次々にブログやSNSで自社の弁護や、東電批判への反論(というより反批判)を試みては炎上し、ブログを閉鎖したりSNSを退会したりしているという。
このエントリでは、ひとまずそれを「本物」として(下に引く事例などはどうやら本物らしい)話を進めたい。

オイラが目にしたもののうち、新入社員を名乗る女性が mixi に書き込んだというものの一部はこうだ。
「東京電力の批判をしてますが、今電気を使えてるのは誰のお陰ですか? よく考えてから批判するように!!!文句あるなら電気使うな!」「あと社長が悪いとか幹部が悪いとか言いますがみんな必死にやってます! そういう人間を批判する人間は自分が原発に行けばいいんじゃないですかね? 行く度胸もなく、ただ電気を使わせて貰ってる人間が『東電は許さない』とか言い知識人ぶるのは滑稽です(笑」

ほかにも「批判してるのは極一部で、普通の人は東電頑張れと応援」などと、逆上気味とはいえ、いささか滑稽な現状認識もうかがえたため、各方面からメッタ打ちされたようだ。
寄せられたコメントにも、自分自身が社に何の貢献もしていない新入社員(社会人としても同様)が過剰な帰属意識から言い過ぎている点、その割に自社が及ぼしている被害に対する謝罪の言葉が見られない点などを厳しく指摘するコメントが目立つ。

オイラがこの話題を取り上げたのは、たたきのめされたご本人をさらに蹴飛ばすつもりではない。
上記の新入社員の言い分の一部とそれに対するバッシングに、ふと思ったことをメモしておきたいと思ったのだ。

実は、「電気を使えてるのは誰のお陰ですか?」という問いには一理ある。むろんこんな高飛車な言い方をされて「東電様のおかげです」なんて言うほどオイラもMではないが、東電さんを含む多くの方々のおかげであることは間違いないのだ。だからこそ激しいバッシング対象になったと言ってもいいだろう。

では、事実を言ったのにクソミソに叩かれたのはどうしてだろうか?
たとえば明治以前の日本で、こんなセリフを丁稚小僧が口にしたら、番頭さんから「お客様になんて口をきくんだい」と、こっぴどく叱られたことは疑いない。そこには「お客様あっての商売」とか「施した恩は忘れ、受けた恩は忘れない」「見えないところにこそきちんとした仕事をする」といった商道徳や職人の美学があった。

だから、当時こんな愚かな書き込みをする丁稚はいなかっただろうし、外部の大人がそれを大真面目で罵るなんて恥ずかしい場面も普通はない。この問題の悲惨さと滑稽さは、こんな低レベルなことが、東電という大店(おおだな)の振る舞いとして堂々と表に出てしまっていることにある、と言っていいだろう。
冷静に見れば、冒頭に引いた書き込みなど、まともにとりあうのもアホらしすぎて、寅さんのセリフを借りて「それを言っちゃぁお終めぇよ」とでも言いたいところだ。「言わない」ことの中に、プライドとか思いやりとかが詰まっているのに、言わない方がいいことを言ってトラブルと不信感だけが残る。日本には、足を踏まれて謝られたときでさえ、「いえいえ、こちらが迂闊でした」と返すオシャレな文化があるはずなんだけど、そういう文化を「『本音』と『建て前』はダメ」なんて言って日陰に追いやりすぎたんじゃないかなぁ。特に今回の原発事故では、そういう「劣化」の一部が極端な形で吹き出している気がする。

聞きかじりで記憶違いを恐れるけれど、小林秀雄の小品の中に、一人前の職人(だったと思う)は、評価を受けるに当たり「ご覧の通りです」としか言わない、という下りがあるそうだ。この話を聞いたとき、若造だったオイラは、中身は覚えたのに所収の書籍や作品名を忘れちゃったのだ(ご存じの方教えてください)。ヾ(;´▽`A``
・・・気を取り直して、、、
つまり、言い訳をせず結果だけを評価してもらうには、裏でものすごく頑張らなきゃならない。だからこそサラリと「ご覧の通りです」って口にできる人が凄いんだ、ってことだと思う。
オイラもなかなか(イヤ全然)できてないことだけど、今の東電さんも会社を存続させるつもりなら、せめて来年には「ご覧の通りです」って言えるように頑張ってほしいなぁ、、、と思う。

【註】原発がらみの話題には、抗議の意をこめて、四季折々の美しい日本の自然の写真を添えていきますので、ご了承くださいネ。美しい日本を取り戻そう!

テーマ: これでいいのか日本
ジャンル: 政治・経済

2011.04.28 Thu 07:28
カテゴリ: ひとりごと
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復興すべきものは何か? 

苔 中房温泉 ミズゴケ属 101101_cIMG_4869
昨日(26日)、福島県飯舘村の菅野村長が首相官邸を訪ね、福山哲郎官房副長官に、住民の避難先の早期確保などを要望したところ、福山副長官から避難先として県外の数カ所を検討していると説明されたそうだ。村長はこれに対し、「仕事や生活を捨てて(県外に)行くとは言えない」と否定的見解を述べたそうだが、至極当然だと思う。この政権は、どうも肝心なことがわかっていないようだ。
飯舘村の村長は、総理の発言とされた「そこには当面住めないだろう。10年住めないのか、20年住めないのか、ということになってくる」(4月13日)という言葉を耳にしたときも、涙ながらに「これが政治家の言葉か」と憤ったそうだ。

この発言について、首相は「私は言っていない」と否定したが、オイラは言ったと思っているし、多くの方々もそう思っているだろう。百歩譲っても、二人の間でそういう会話があったことは、皮肉にも首相の言葉が裏書きしているので否定しようがあるまい。
この発言の酷さについては各方面からすでに一通りの批判があったが、オイラは「総理の立場と発言の重み」などとは別の観点から、あらためてこの問題を斬ってみたい。

いったい、菅氏も福山氏も、「日本の総理大臣、日本の政治家」なのだろうか。
あらたなエコタウンとやらは、「中心部はドイツの田園都市などをモデルにしながら、再建を考えていかなければならない」のだそうだ。海辺から高台へ、というだけならわかるが、唐突に出てきた「ドイツの田園都市」という発想はどうだろう?

どこの国にも地域にも、その土地の地形・気候・地理的位置などに立脚した生業や生活によって、独特の景観が時代による変遷を経て重層的に成立している。世界遺産や、わが国の文化財で言われる「文化的景観」とはこのことだ。「景観」というと美しい景色と勘違いされやすいが、これはそういう意味ではなく、人々の生活や産業などの文化が土地利用に特徴的にあらわれたものだ。したがって、これを保存しようとする試みは、文化財を守るという切り口から入るが、その景観を形成した人々の営みやコミュニティ自体を守る試みにほかならない。

だから、「ドイツの田園都市」を目指すという発想が総理のものか松本内閣官房参与のものか知らないが(どのみち参与を選んだのは菅さん)、この2人はそれぞれの土地がもつ固有の文化的な背景(アイデンティティと言っても良い)なんてものにはまるっきり興味も関心もないらしい。福山さんの考えていることも、この発想と軌を一にしており、被災した皆さんにはその故郷に、取り戻すべき(守るべき)様々な無形の価値があるということに思い至っていない。こんな人々に復興を任せて良いのだろうか。

真に復興するべきは地域コミュニティなのであって、そのためには「人と人」「人と土地」「土地と土地」の三つの結びつきのいずれもが大切にされなければならない。この点で、オイラが言う「景観」は、文化的価値だけにとどまるものではなく、人々の心やその営みまでを含んでいる。
菅野村長の言葉を聞いても、自分たちが何を見落としているのかに気づかない人々が要職についているとしたら、その政府は「心」がない政府だろう。

幸いなことに、オイラの知っている都市設計や街づくりのプロパー(工学系も多数)達は、こんな与太話は相手にするまい。柳田国男の『遠野物語』が鮮やかに示したように、東北にはわが国の「根っこ」と呼べるものがたくさんある。三陸一帯が「ドイツの田園都市」になれば、それらの多くが失われてしまうことを、まともな専門家たちは知っているから、そんなフザケた設計はしない。必要なのは、東北の、そして三陸ならではのアイデンティティを充分に継承し、なおかつ安全な集落だ。そういう人々にこそ、計画を立案させ、設計図を描かせなければならない。
オイラも、東北らしさ三陸らしさが失われない復興に向けて、およばすながら声を上げていきたい。

そういえば・・・いささか八つ当たり気味だけど、こういう切り口で見ると、先日から民主党があちこちで使っている「がんばろうNIPPON」のロゴも気に入らない。外国の方に向けて使うならわかるが、どうして国内向けのロゴに横文字なんだ?
本来、これ自体はそれほど大きな問題ではないのだけど、三陸の漁村を「ドイツの田園都市」に造りかえようという皆さんがやっているとなると、話は違ってくる。この人たちは、本当に「日本」を復興する気があるのだろうか?

いま、我々が復興すべきものが何なのか、表面だけの再建から脱却し、地域の共同体とか生まれ育った環境・景観というとらえにくいものの価値までを大切にするにはどうしたらよいか、多くの方に呼びかけて真剣に考えたい。


【註】原発がらみの話題には、抗議の意をこめて、四季折々の美しい日本の自然の写真を添えていきますので、ご了承くださいネ。

テーマ: これでいいのか日本
ジャンル: 政治・経済

2011.04.27 Wed 20:34
カテゴリ: ひとりごと
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